あらゆるものとの共存の社会へ

満月の夜 御前浜でヨガをしているところ

2020年に入ってからは人と話すときに必ず話題になるのがコロナウイルスです。外国のように罰金まではいかないまでも、自粛という名のもと自己判断を迫られる日々です。有名人もリレーしてステイホーム、医療従事者にエールを!とメディアを通してメッセージを発信しています。ウイルスは人が移動しなければ移動しないということです。ですから決して間違ったメッセージではないでしょう。ですが違和感を感じることもあります。

それはまず未知のものが故に人によって認識に大きな違いがあるということです。それからそれぞれの置かれている環境によって生活行動が全く違うということが生み出す意識の分断のような感覚です。ステイホームを守っている人、ステイホームが限界に来ている人、今まで通り仕事へ出ざる得ない人、日々の生活に介助が必要な人とそれを支える人たち、教育保障への考え方の違いもあらゆる要素が交錯して一人ひとり違いますね。ステイホームして守れる命とステイホームしないことで守れる命があります。人々の中で自粛にたいするストレスが個人への批判に変化しているのをみると胸が痛くなります。

この分断のようなものがなぜ作り出されたのか?それは国のありかたと関係しているような気がします。私たちの暮らす日本という国の国民に対する対応はどうだったのか?連日のように報道されているのでみなさんご存知ですよね?アベノマスクを心待ちにしている人がいれば紹介して頂きたいと思います。経済成長一辺倒の日本社会の中で私たちは今までもあらゆる場面で分断を感じてきていると思います。「生産性のあるものとないもの」「頑張れた人と頑張れない状況にある人」「手に入れた人と手に入れられなかった人」コロナウイルスが原因で感じていると思っていたこの感覚は、実は今始まったことではなく今まであったものが分かりやすく表出しているのではないかと思いはじめてきました。

今私たちが生きる社会のあり方を考えるチャンスが巡ってきたのかもしれません。分かりやすい今がチャンスです!私は過度の移動や長時間労働は人の命を削るのだと改めて感じています。まずはそれぞれがそれぞれの場所で思いを言葉にしてもいい環境が整えられないといけません。たとえ整っていなくてもどんなふうに生きたいのかを根底から見つめ直そうと多くの人たちが考え行動することが、自分自身への、そして次世代を生きていく人たちへのプレゼントになると信じています。

a littleでも講座やつどい場は全てオンライン開催になり、家事サポートも対面のものは無くし、さらに緊急事態宣言以降は活動休止となっています。この判断をすることで今まで作れていた緩みが消え、孤独な子育てを助長し、自分らしい時間を手放すことにつながるのではと想像をしてしまいます。正しい判断だったのかと自問自答を繰り返す日々です。答えがすぐに出ないものも抱え悩みながら、活動を進めていくことを引き受けていくしかありません。

アフターコロナ、ポストコロナなんて聞くことも多いですが、今のところウイズコロナがしっくりと来ている私です。オンラインを(インターネット)活用しながらも、オフライン(直接会って)で語り合える日を心から楽しみにしています。それまでご自身の身体はもちろん、心を一番大切にしてお過ごしください。

代表 さかぐちゆうこ