リトル広島の旅 2 川崎あゆみ編

被爆者岡田恵美子さんの話で、もっとも記憶に残ったのは、原爆孤児たちの話でした。疎開先で自分の命は助かったものの、親を原爆で失い、何もない焼け野原で孤児となった子どもたち。岡田さんは、寒い冬のさなか、3人の子どもが小さく抱き合って死んでいるのを見たそうです。
1945年の冬は特に寒かったと、本にも書いてありました(岡田恵美子さんの原爆体験が描かれた漫画『生きるんだ~母ちゃんの祈り~ ごとう和著』リトル文庫で貸出しできます)。お腹が空いてやせ細り、極寒のなか、おそらくは夏から着っぱなしの半そでシャツで、どれだけ寒かったろう。今、12月の冷たさを感じ、コートを羽織るたびに、死んでいった子どもたちを思い苦しくなります。通りすがるおとなたちに泣きついた子どももいただろうか。救ってやりたくても、自分が生きるのが精いっぱいで救えなかったおとなたち。本当にむごたらしいだけの戦争、軍需産業に金が流れるだけの戦争、改めて憎いです。

平和祈念資料館では、わずか3メートルほどの原子爆弾と、その一発で焼き尽くされた街の大きさが模型で示されていました。これまで私は、10万人規模の大量殺人であった東京大空襲と、広島原爆、長崎原爆を、同列に見ていたようなところがありました。兵器よりも、被害の大きさで見てしまっていたのです。

8月6日と9日は多くに人が平和のために祈るけれど、3月10日はさほどでもなく過ぎていくことが不思議でもありました。けれど改めて原爆の破壊力を知り、これは恐ろしい、空襲とは似て非なるものだとやっと実感しました。この年齢でようやく気付いたのは、たった一機の飛行機と、1人の操縦士がいれば、原爆を落として街を壊滅させ、14万人の命を奪うことができるという事実でした。たった一人。その1人を今後も生み出してしまうのかどうかを、私たちは問われているのだと感じました。

2020年10月24日、核兵器禁止条約の批准国が50か国に達し、来年1月22日ついに条約が発効されることになったそうです。このことを教えてくださったのは、広島原爆伝承者の辻さんでした。本当に嬉しそうに話されて、被爆者としてこの日をどれだけ待ち望まれて来たかが伝わってきました。被爆者の方は、ただでさえつらい過去を背負って生きているのに、未来の子どもたちのために頑張ってくださっている。私も、自分ができることを模索しなければと思いました。