リトル広島の旅 4 細見葉菜編 伝承者への道のり

1日目
資料館の展示方法が全く変わっていて驚きました。広島の戦前のまちの様子、戦時下に入っていって原爆投下までの経緯などの説明が後半になっているのは、どのような意図があったのでしょう。 辻さんから説明いただいた核実験の回数を示す数字、少なくなっているとはいえ、今後もずっと後戻りせず核を廃絶する方向に向かってほしいと願います。
また証言者の方々が今年も次々亡くなっているということ、直接に交流されてきた方々にとっても辛いことだと思いました。どんなことを証言者の方から受け継いでこられたのか、その継承のあゆみもまたお聞きしたいです。
岡田さんのお話では、裕子さんが後で言われていたように、本当に自分が体験したことだけを話してますという言葉を何度も繰り返されており、時代の変化で遠くなりつつある真実を伝えようとする強い思いを感じました。

2日目
岡田さんのお話にある東練兵場のあった方面を歩くことができて、街並みが戦後すっかり変わったこと、開発で今は被爆跡を感じることは難しいが、爆風や熱線の影響と思われる木壁や瓦が残るお寺や神社の存在は大きいと感じました。また多くの人が山の方へ逃げてきた場所、動けなくなった死体が積み重なっていた場所、平和記念公園だけではなく市全体を回って惨状を理解することは大事だと思いました。
賞子さんと朝平和大通りを歩いて、まちのつくりが日本人の作った感じと違うと言っていました。あゆみさんも山が近くて海もあっていい場所と言っていて、あらためて広島の街並みを感じたり、1人で地図片手に平和記念公園に訪れていた今まではできなかった体験でした。本当に仲間が一緒にいてくれてこそです。ありがとうございます。
岡田さんがおっしゃる平和への行動。新幹線の帰り道、署名を集めたい、お話し会のときに子どもたちと鶴を折りたいなど、色々な案を出してもらいました。こうして被爆体験者の思いがつながっていくんだと感動しました。立ち止まりながらも、学び伝えるという歩みを止めないで、一歩踏み出していくことが、今わたしにできる行動ではないかなと思いました。

(細見葉菜)